この日(5月25日)は4人で、2対2に分かれてゲームをプレイしました。

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【戦略級関ヶ原】
(ゲーム説明)
関ヶ原の戦いと聞くと、全ての大名や武将の思惑があの一戦に収束していったかのような印象がありますが、実相は異なります。
なので、従来のゲームだと、関ヶ原の戦場だけが舞台で、お互いの軍団が叩き合い、小早川がどちらに寝返るかどうかで決着がつく、というものが多いですが、このゲームの戦場は、東北から大阪城までという範囲で設定されています。
おそらく、石田三成も徳川家康も、その他の大名(描かれていない九州や西国の大名)も、この範囲で構想を練っていたと考えられています。
つまりは、家康と三成以外のほとんど全ての大名や武将が、これから長く続くことになる「戦役」の第一章で、前哨戦に過ぎない(つまりはアスターテ会戦)、という認識で捉えていたということなのです。
なので、それぞれの思惑も異なり、交錯します。
早くこの戦い(対立)を終わらせたい者、この状態が長く続いた方がより自分に有利になるため、自らは積極的に動かない者、勝ち馬に乗ろうと、もしくは、勝つ側に自分を高く売りつけようと、日和見を決め込む者など。

東北では、上杉、直江が。
伊達政宗と対峙しながら家康を大阪から引き離して小山に出兵させ、三成の挙兵をアシストさせます。
ここから家康がまた引き返したならば、逆を突いて関東への出兵を虎視眈々と狙っています。
しかし、北陸では腰が重いながらも東軍に付いた前田利長がいるため、会津を空ける訳にもいかず、動きが牽制されます。
常陸の佐竹も、日和見を決め込んで、怪しい動きを見せています。
他方、家康の方も、実情は尻に火が点いた状態です。
モタモタしてると近畿地方を三成にまとめられ、毛利勢が三成に加勢し、豊臣秀頼が出兵してくるかもしれません。
そうなれば、今現在は家康に協力している多くの外様大名が、西軍に流れ、一気に決着が付いてしまいます。
三成としても、外交力で上手の家康に時間を与えると、家康有利の情勢を作られてしまうという心配から、家康との早期の和睦を引き出したいというのが本音です。
外様大名が味方でいるうちに一気に決着を付けたい家康と、短期決戦が良いのか、長期戦で行った方が良いのかで揺れる三成といった、当時の彼らの思惑が非常に良く分かる気がするゲームです。
関ヶ原という一戦だけに囚われず、この時期の状況を見事に切り取って提示した、傑作ゲームであると思います。

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たんさんが東軍、いたうが西軍でプレイしました。
ゲーム開始してすぐの盤面です。
石田三成をぶん殴ってやろうと人一倍やる気に満ち満ちている福島正則が、いち早く清洲に到着しました。
この時、徳川本隊は未だに小山、徳川家康は江戸に戻り、書状を書いて味方を増やそうと動きつつ、己の出馬時期を見定めています。
ゲーム的に言えば、家康が江戸に留まっている間は、毎ターン戦略カードがもらえます。
よって、東軍側としては、いつまでもここに留まって手札を増やしたいという思いと、モタモタせずに自分の大軍を率いて毛利や秀頼が立ち上がる前に決着を付けたいという思いの間で揺れるジレンマが再現されています。
北陸では、石田三成に加勢したい大谷吉継(兵6750)ですが、4倍の前田利長の大軍(兵25000)がいるために、身動きが取れないでいます。
そして、実は東軍の主力部隊であった秀忠隊(直参で、総計33800)が、あろうことか(史実どおりですが)上田城で総勢1140の真田昌幸に足止め。
中立化されていて、イベントがない限り動くことが出来ません。
このゲームをやると、秀忠隊が拘束され、遅参したことに対する家康のはらわたの煮えくり具合を理解できるかと思います。 
戦略級関が原1

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西軍@いたうは、前田利家がそれほど速く動くことはない(動いたらそれまで)と、前田を放置し、いち早く大垣城へ駆けつけ、福島隊の動きを牽制しました。
石田三成は伏見城で、東、北、南に睨みを利かせる位置に滞陣。
機内制圧もしなければいけない、さりとて尾張や美濃を獲られては、相手の行動が自由すぎるということで、これが最善と判断しました。
頼りになる宇喜多秀家は、17000の大軍を持って伊賀や伊勢方面の迅速な制圧を任されました。
戦略級関が原2

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さらに、北では小野木公郷が挙兵し、田辺城の細川幽斎(細川藤孝)を攻めました。
戦略級関が原3

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ここで、いたうは「相手の手札から一枚引く」という「刺客」カードを使いました。
そしたら、引いたのは、「刺客」カード。
なので、その引いた刺客カードを使いもう一枚引いたら、来たのが何と、「秀頼出陣」カード!
これでかつる!
と思ったのですが。
…意外と成立条件が厳しかったです(汗)
戦略級関が原4
…まずは機内平定して毛利輝元を出陣させなければ。

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宇喜多軍(と吉川軍)が連携をとり、伊賀、伊勢を平定。
そのまま尾張へと駆けつけます。
ここまで粘った大谷吉継、殊勲の働きといえるでしょう。
戦略級関が原5

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ところ変わって、東北方面の情勢です。
こちらも、伊達を無視して、宇都宮に数千の守備隊を残して(これは我ながら良かったと思った)、景勝は最上討伐、直江兼続は新発田城を攻めに行きました。
多分、かなり攻撃的だったと思います。
戦略級関が原6

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一見好調に見える西軍ですが、東軍も攻勢を加速させます。
まずは、前田利長がついに東方に付き、参戦してきました。
さらには、秀忠の元に大御所(家康)からの激怒の文が届き、ついに覚醒。
東軍の主力が行動可能となりました。
これには、さすがの真田昌幸もどうすることも出来ず、昌幸は散りました。
そして、秀忠動くの報に、犬山城に布陣するは、島津義弘(兵1500)
兵力差は歴然ですが、立て篭もれば、少なくとも時間は稼げると判断しました。
戦略級関が原7
このゲーム、両陣営にとって一番大事なのが「時間」(もしくはタイミング)だなと、思った次第でした。

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機内を平定したものの、ここからいたうの行動力ダイスの目が暴発。
5~6の目を出しさえすれば、毛利輝元が大阪城を出立し、秀頼も重い腰を挙げるのが実現するのですが、
ここから4~5ターン、1~2、最大でも3の目しか出なかったという…(T-T)
まあ、ダイスのせいにするのが嫌なので、いたうはプレシジョンダイス(出目が均等になるように作られた、競技用ダイス。高い)を使っていたので、今までの出目が良かったと思うことにしたのですが、「近畿を平定したのに秀頼様はまだかと、毛利は何故この期に及んで何故立ち上がらん!」という、ほぞを噛んだ三成の気持ちを追体験できたような気持ちになっていました。

そうしているうちに、東方は戦力を回復するなどして次に備えつつ、とうとう大御所が江戸を出立し、大阪を目指しました!
そして中山道からも本田忠勝を露払いに、秀忠隊(兵24500)が、堂々と西進してきました。
この時、石田隊は、未だ田辺城を出立できていませんでした。
戦略級関が原8

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しかし。
いたうにはもう一つ気がかりがありました。
北陸です。
序盤に目の前の前田利長を無視して美濃に馳せ参じ、殊勲の働きを見せていた大谷吉継でしたが、前田が挙兵したため、本拠の北ノ庄城が陥落の危機に。
陥落すると、補給切れとなり、行動力も戦力も大幅に低下してしまいます。
前田利長も戦意も低いため、速攻で陥落することはなかったですが、大谷吉継も、たんさんのチット引き(チットを引いて行動する陣営を決定する)が冴えに冴え、東軍だけ行動してターン終了チットを引くとかやりたい放題にやられ、手番が回ってこないため身動きが取れず。
ここを落とされたら、負ける。
そう思っていました。
いたう最大のピンチの瞬間でした。

しかし、間一髪で間に合いました。
ここで両者睨み合いで膠着。
大谷吉継は、致し方なしとはいえ、無念の最激戦地からの離脱を余儀なくされたのでした。
戦略級関が原9

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徳川家康(兵30000)と、秀忠隊(兵24500)が、到着し、圧倒的兵力を持って、尾張、美濃を制圧にかかりました。
島津義弘他、多数の大名が、討ち死にしました。
しかしここで、駆けつけたのが、戦国最強の呼び声も高い、立花「ヤン・ウェンリー」宗重!
間に合いました(致命的にルールを間違えていますが)
戦略級関が原10
ここで、東軍と西軍は大垣上を挟んで睨みあうという、三成が当初思い描いていた構図通りに収まったことになります。
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そして膠着状態になったことこの時に至り、東軍に付け入る隙が生まれてきました。
秀頼が立ち上がったことにより、東軍陣営の少なくない大名が、徐々に西軍へ旗色を変えてきたのです。
動揺の輪が、広がり始めたのです。
まずは、川中島城の森忠政と、小山の堀尾忠政が、西軍へ寝返り。
全軍を持って西へ突き進んでいた東軍の、無防備な背後に、小さいながらも危険なナイフが、生まれたのです。
江戸まで、その侵攻を阻む勢力は、小山にいる少数の大名以外にありません。
しかし、その軍勢も、行動力が低いために、なかなか堀尾を追いかけることが出来ません。
小山から江戸城までは、城2つ分しか離れてません。
最短で2ターンで、江戸城が陥落し、東軍が敗北します。
しかも、上杉景勝は、今まで戦っていた最上が、秀頼の威光を恐れ、西軍側に。
これで後顧の憂いを心配することなく(伊達正宗がまだいるが、たんさんはカードを持っていない様子)、江戸を目指せるようになりました。
戦略級関が原11

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ここで、事態の深刻さを理解したたんさんは、ちまちまと少勢を向けるのではなく、なんと大御所自らが大返し。
上田城に居座り補給線を絶とうとしている森忠政を速攻で倒し、江戸まで戻ろうとしています。
しかし。
この森が、真田張りの粘りを見せ、何と家康の大軍を2~3ターンの間凌ぎきってみせました。
戦略級関が原12
ここに至り、たんさんが投了。
西軍の勝利となりました。
しかし。
お互い、兵力の運用で致命的なルールミスに気付かずにやっていたことが判りました。
どうりで機内制圧が迅速に完了し、美濃での篭城戦で粘れた訳です(-_-;)

これはノーカンです。
たんさん、またお相手してくださいm(_ _;)m
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(感想)
いやあ、「着眼点は良いけど、惜しいゲーム」だと聞いていたので、どんなもんかなと思っていたのですが、いやあ、素晴らしいゲームだと思いました。
チット引きで自陣営のチットが出ないと行動できなかったり、合戦でダイス目で負けると一方的に殴られる戦闘システムなど、たしかに独特ですが、これがないと真田のような少数で大軍を足止めできるということが再現できないと思ったので、これはこれでアリだと思いました。
しかも、このおかげでかなりヒロイックなキャラクター付けが表現できるようになったと思うので、その点でも楽しめました。

このシステムだと、銀河英雄伝説などの世界観にもマッチするように感じましたので、身内で遊ぶために創ってみようかなと思いました。
冷静に見れば、西軍が不利なように感じましたが、それも状況次第の範囲内かなあとも思いました。


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他方のテーブルではふなきさんとハラさんが、これも名作の「信長包囲戦」(GJ)を繰り返しプレイされていました。
信長包囲戦1
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ここでいたうは退出させていただきました。
その後で3人で「本能寺への道」(GJ)をプレイされたようでした。
いたうもやりたかったなあ(´・ω・`)

みなさん、ありがとうございました。
またよろしくおねがいします!