まさにこれ。 
 
新しいことをやれば、必ずしくじる。 
腹が立つ。 
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でも、それがどうした。 
そこからがスタートだ。 



まさに、これです。 
8年前と結果が酷似していると言われているし、言っても良いですが、中身は全然違うよと。 
きちんと中身を観てほしいと。 
それだけは言いたい。 
例えば。 
98年W杯のジャマイカ戦や、02年W杯のトルコ戦では、負けているのに攻めていかなかった。 
選手たちは、その後に及んでも、チームの「枠」を壊して、リスクを背負って前に行こうとはしなかった。 
そのトラウマが、いたう含めたサポーターの中に、棘のように刺さったままだったのです。 
今回は、そのリスクを背負ってでも勝とうとしてくれた。 
その姿を見れただけで、そこまで来たんだなあという思いに至った瞬間でした。 

だから、負けたのに、心は不思議と安らいでいます。 

結果が出なかったのを批判するのは簡単だし、嘲笑うのは気持ち良いかもしれません。 
でも、例えば。 
走り幅とびや棒高跳び、ハンマー投げやフィギュアスケート、モーグルなどで、記録ナシに終わるリスクを承知の上で、それでもなおメダルを獲るためにチャレンジして、結果として失敗して記録ナシに終わる選手も、数多くいます。 
でもそれは、みっともないことなんでしょうか。 
一番の「敗北」は、チャレンジしないことだと思います。 
それこそ、自分に負けたという、スポーツにとっての最大の敗北なんだと思います。 
サッカーは「ミスのスポーツ」なので、負けたこと、失敗したことを責める風土は、サッカーにはありません。 
そうしたことを責める環境では、選手はドリブルなんて全くせずに、足元への慎重なパスだけを繰り返すだけのサッカーしか出来ません。 
ソ連時代のソ連代表とか、昔の北朝鮮代表や、独裁国家の代表チームなどが、そういったサッカーしか出来ずに退屈で勝てないサッカーをしていました。 
そのサッカーをした上で、「審判のせいで負けた」と言い張れば、面目は保たれていたのです。 

そんなサッカーは観たいくないし、未来はありません。 
日本サッカーは今、未来へ向けての一歩を踏み出したのです。 
この屈辱は、いつか通らなければならない道。 
悔しくてなりません。 
もっと出来た。 
もっと魅力的なサッカーで世界を驚かせられた。 
でも、それらの無念さを含め、それらを甘んじて受け入れ、この苦い屈辱を飲み干してもブレずに続けていって積み上げて、前を向いていきたいと思います。 
日本サッカーは、今踏み出したばかりなのです。 

選手たち、スタッフのみなさん。 
本当にお疲れ様でした。