いたうのブログ

平日夜や週末に青森市やその周辺でボードゲームやっています。
そのプレイ日記です。
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2016年08月

今日も今日とて、「シン・ゴジラ」を観てまいりました。
いやあ。
人様の言葉を言葉を借りますが(自分でもそれが最善だと思ったので)、「控えめに言って大傑作」でありました。
映画の「面白さ」という点では、100点満点でしょう。

とにかく素晴らしかった。
「54年ゴジラ」を超えた作品がようやく出てきたと言っても、頷いてくれる人がいるほどの出来であったと思います。

ゴジラが本当に怖い。
しかしながら、美しく、神々しい。
ケロイドのような分厚い皮膚。
皮膚の間から見える体内は、「燃えている」、「焼けている」のです。
放射性廃棄物を食い、体内で核分裂反応を起こしながら、それを受け止め切れているのか、それとも受け止め切れずに崩壊への途上なのか判別できないというような描写であったと、今、家に帰って振り返るに、思います。
まるで、「風の谷のナウシカ」の巨神兵のようだと感じた人は、私だけではなかったでしょう。
かの生物もまた、被害者なのでしょうか。

そして、この「天災」に対して立ち向かうのは、普通の人々です。
政治家、官僚、学者、自衛官だけでなく、警察官、消防士。
全て、現実にいそうな、理想を持ちつつも現実に逃げずに向き合い、時として妥協しながら「それでも他人のため」と力を注いでいる普通の人々です。
最後にゴジラを仕留めるのも、「口からの凝固剤の注入」という地味極まる描写だった訳ですが、そこが良いのです。
この映画は、こういった普段は目に見えない、この国(社会)を守っている人々に光を当て、観た人に伝えてきます。
そこには深い尊崇の念を感じます。

それでいて、ゴジラになぜ通常兵器が効かないのか、ミサイルが効かないのか、なぜゴジラは放射熱線を吐けるのか、ゴジラというものはどういう生き物か、などといったことに対し、「何故ならそれがゴジラだから」というエクスキューズを使うことなく、丹念に積み上げていきます。
そこが素晴らしい。
そこを突き止めていく過程こそが、怪獣映画のカタルシスだと思っているので、そういった54年ゴジラで表現されていた(しかも、54年ゴジラよりもメッセージは強烈!)こういった描写をやり切ったというところに、賛辞を贈りたいと思います。

キャストも、この制作規模では破格のラインナップ。
現在の日本俳優陣、女優陣の黄金時代を証明するかのような素晴らしいパフォーマンスでした。
どの役者も一流。
だからこそ、陳腐に見えないし、ドラマが引き締まります。
そして惹き込ます。
政府の会議や、指揮伝達なども見事に描いていて(一部カリカチュアされていますが)、そこにリアリティや、「もどかしさ」などを高いレベルで表現していて、これまでの邦画の同種のシーンとは質を画する出来であったと思います。
あれこれ言われている石原さとみの役どころと演技ですが、ああいう「二次元と現実」を繋ぐようなキャラがいたことで、最後のシーンが浮かなかったというのもありますし、あの演技は石原さとみの演技力とビジュアルがなければできなかったとも思います。
その意味でも、彼女はこの映画の影のMVPであったと感じます。
その他にも、いたうが気に入った役どころが、保守党第一党政調副会長の泉修一(「幹事長ポストで良いよ」の人)、文科省から巨災対に派遣された安田(「選ぶなよー」の人)、宮崎駿そっくりの海洋生物学者、カヨコ・アン・パターソンの補佐役で出演したマフィア梶田氏などでした。
とにかく、この他の人たちの技量があったからこその「シン・ゴジラ」でありました。
本当に今の役者さんたちは素晴らしい。

そして、カット割りの素晴らしさ。
ここにこそ、庵野総監督をはじめとした才能の神髄を観ることができたように思います。
無駄なカットは一つもなし。
どのカットも「攻めて」いて、迫力や危機感、圧迫感、恐怖感などを与えていました。
逃げ惑う歩行者の視点から仰ぎ見るカットだけでなく、わざとカメラを引くことで、ゴジラとビル群と、ゴジラの通った跡を上から俯瞰で見せるなど、攻めに攻めまくっていました。
CG部分と実写部分の同化に際しての調整、破壊などのシーンでの「爆破した中身」の描写やフォローなど、丹念にもほどがあると感じました。
しかも、CG映画では粗が目立ちがちな日中のシーンが大半で。
その意味でも、攻めていました。
さらには、破壊後の呆然とするような瓦礫の山。
あの圧倒的な質量に、「この瓦礫の山どうするんだよ…」と、いう思いが自然と出てきます。
破壊後というのは、なかなか描写されにくい(手間ばかりかかって実入りが少ないから)のですが、そこでも、彼らは逃げずに描き切りました。
「こんな感じでいいや」などという、甘いカット、甘えたカットは一つもなかったように思います。

「ゴジラと核」というゴジラ不変のテーマに関しても、日本人が核兵器、放射能に対して抱く、「共通の思い」的なところを突いていて、映像作品でそこまで踏み込むか、という思いに駆られ、良い意味でショッキングでした。

「戦力を持たない国」としてのジレンマと、「災害という国難」に何度も襲われている記憶や経験と、「唯一の被爆国、放射能で汚染されたことのある国」である事実と。
そして、「このような事態になった時に、あなたは我々はどうするべきか」という問いも突き付けられたように感じました。
「国連が核兵器の使用を容認(強制)してきた時に、どうするのか」と。
この描写に対しての、日本人の感情は、単純ではありません。
そういうところからも、逃げずに描き切っていました。
今この時代に、こういうメッセージを盛り込んだことに、単純ではない色々な思いが去来するとは思いますが、こういうメッセージを盛り込んだ、盛り込めたというところに、大きな拍手を送りたいと思います。

そして最後に。
この映画は、「恐怖」、「パニック」、「国難」、「政治」、「理想と現実と無力な自分」というものを描き、我々に突き付けてきた映画でしたが、この映画が最も描いていたのは、「希望」でした。
逃げずに立ち向かう。
諦めずに立ち向かう。
ただ一つの細い可能性に賭ける。
これらを通してこそ、希望は生まれるのだということを、この作品は描いたのだと感じました。
そこにこそ、最大の拍手を送りたいと思います。

怪獣映画としても至高
日本特撮史上においても金字塔
日本映画史上においても、語り継がれるに値する名作であると思います。
のみならず、世界を視野に入れても、一大マスターピースであると言えると思います。
今この時代だからこそ創られるべき作品であったと思います。
この映画をスクリーンで観ることができたことを、この時代に生を受けていたことを、本当に感謝したいと思います。
観ていない方は、スクリーンでご覧になることをおススメします。
ビデオや金曜ロードショーではこの凄さの内の何割かは伝わらないと思います。

拍手。

【追記】
最後のシーン。
尻尾の先が、人で形づくられているかのようなシーン。
庵野氏が大好きな描写ですが、あれも良かったですね。
あそこは色々な見方ができるかと思います。 
あれが何なのか。
もしくは、あれを今までの所業の「結末」として見るのか、あれが何かの「始まり」として見るのか。
それは、 人それぞれだと思います。

誰だ、自分の「5人PCを殺す」という勝利条件を満たすために、他プレイヤーのPCだけでなく、自分のPCをも自死に追い込む人でなしは(笑) 
血も涙もないやつだ。 
良くそんなことを思いつくもんだ(プンプン)

「Papas & Richards」
【デッド・オブ・ウィンター 完全日本語版 第1話】 
http://blueunits.air-nifty.com/blue/2016/08/arclightgames-9.html 

【デッド・オブ・ウィンター 完全日本語版 第2話】 
http://blueunits.air-nifty.com/blue/2016/08/arclightgames-8.html 

【デッド・オブ・ウィンター 完全日本語版 最終話】 
http://blueunits.air-nifty.com/blue/2016/08/arclightgames-1.html 

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